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思想家・遠藤道男 思考録

絵画の勝利:超越論的な視覚性と資本の融解点

崩壊する時間性の地平において、絵画はすでに勝利している。これは感傷的な主張ではなく、むしろ冷酷な事実の確認である。我々が「絵画」と呼ぶ視覚的実践は、すでに資本の内部限界を超えて拡張し、そのプロセスのなかで溶解と再結晶を繰り返す新たな認識論的枠組みを構築している。ここでいう勝利とは何か。それは単なる市場価値や文化的威信の獲得を指すのではない。そうではなく、絵画は資本主義的な時間の直線的加速を内側から裂き開き、その時間的制約を超えた「超時間的な強度の集積点」として機能することによって勝利する。絵画は資本の時間内で作動しながらも、同時にその外部への逃走線を描く。絵画の強度はまさにこの矛盾のなかに存在する。資本は絵画を完全に包摂することができない。なぜなら絵画は本質的に資本の時間性に対して非互換的な瞬間を生成するからである。このことは決して神秘的なプロセスではない。むしろ、これは絵画という媒体がもつ具体的な物質性と、その物質性が生み出す非人間的な時間性の産物である。

現代社会における視覚性の暴力的な遍在は、パラドキシカルな効果を生み出している。それは視覚そのものの超過と内破である。我々は無数の画像に囲まれ、それらによって絶え間なく視覚的に刺激されている。この状況は資本の循環の加速を表しているが、同時にそれ自体の内部崩壊の原理も含んでいる。絵画はこの内部崩壊の触媒として作動する。なぜなら絵画は資本の循環から「余剰価値」を引き出すだけでなく、資本の表象システムに対して還元不可能な「余剰」そのものを具現化するからである。この余剰は資本が必然的に生み出すものでありながら、同時に資本が統合することのできないものでもある。これは資本の自己矛盾であり、絵画はその矛盾を視覚化する。視覚的なものの過剰は視覚性の危機を生み出し、この危機のただなかで絵画は「見えないものを見えるようにする」という根源的な力を取り戻す。絵画は単なる視覚的オブジェクトではなく、視覚そのものの限界を探求する超視覚的な実践なのだ。

絵画は資本主義的な生産様式の内部で生産されながらも、同時にその生産様式を批判的に露呈させる。絵画の物質性は資本の非物質的循環に対する抵抗点として機能する。しかし、この抵抗は単純な対立関係として理解されるべきではない。むしろ、それは辯証法的な緊張関係であり、この緊張関係のなかで絵画と資本は互いに浸透し合い、互いを変容させる。資本は絵画を商品化することで包摂しようとするが、同時に絵画はその商品化の過程そのものを視覚化し、資本の内的論理をその限界まで押し進める。この過程で絵画は資本の論理を内側から空洞化する。この空洞化は絵画が「価値」という概念そのものを疑問に付し、価値の生産と循環の過程を視覚的に具現化することによって実現される。

人間中心主義的な視覚性の終焉において、絵画は非人間的な視点を開く。これは単に「機械の目」や「動物の視点」を意味するのではない。むしろ、それは主体と客体の二分法を超えた「見る」という行為の根源的な再定義である。絵画は見る主体としての「私」と見られる対象としての「それ」の間の関係を撹乱し、視覚性そのものの前提条件を問い直す。この過程で絵画は人間の認識論的枠組みの限界を暴露し、非人間的な知覚の可能性を示唆する。この非人間的な知覚は決して神秘的なものではなく、むしろ具体的な物質的プロセスとして理解されるべきである。絵画の物質性は見る主体の身体性と共鳴し、その共鳴のなかで主体と客体の境界は一時的に溶解する。この溶解は新たな主体性の形成の可能性を開く。

資本の超加速する循環において、絵画は一種の「時間の折り畳み」として機能する。それは過去、現在、未来の直線的な連続性を破壊し、異質な時間性の共存を可能にする。絵画の表面に現れるのは、単一の「現在」ではなく、複数の時間性が重なり合い、干渉し合う「時間の濃縮点」である。この意味で、絵画は資本の時間的加速に対する抵抗線を描く。しかし、この抵抗は単なる減速や停止を意味するのではない。それはむしろ、資本の加速そのものを内側から引き受け、その加速を極限まで押し進めることで生じる質的転換の可能性を探るものである。絵画は資本の加速を模倣しながら、その加速のなかに内在する崩壊の論理を顕在化させる。この過程で絵画は資本の時間性とは異なる時間の経験を開く。それは「瞬間の永遠化」とでも呼ぶべきものであり、一瞬の経験のなかに無限の強度を凝縮する可能性である。

絵画の勝利は、したがって、視覚的実践が資本の内部崩壊を加速させ、その崩壊のなかから新たな知覚と思考の可能性を引き出す能力にある。この勝利は決して確定的なものではなく、絶えず更新され続ける一種の「開かれた過程」である。絵画は資本との緊張関係のなかで常に自己変容を遂げ、その変容のなかで新たな視覚的・認識論的可能性を探求し続ける。この探求は決して完了することのない無限のプロセスであり、それこそが絵画の真の強度である。絵画は終わることのない「視覚の革命」の最前線に立ち続ける。その革命は単なる美学的革新ではなく、知覚と思考の根本的な変容を含む総体的な変革である。絵画の勝利とは、この変革の可能性をつねに開き続けることにほかならない。

作成日: 2025-03-27