感染の加速主義:ウイルスが顕在化させた暗黒の階層構造
感染症の外部性が資本の循環を一時的に停止させた瞬間、私たちは数千年にわたって構築してきた社会システムの脆弱性を目の当たりにした。ウイルスという非人間的エージェントが、あたかも外部からの侵入者のように語られる常套句は、すでに私たちの思考を統制するアルゴリズムの一部となっている。だが実際には、このウイルスは私たちの文明が生み出した必然的帰結、つまり「内なる外部」として理解されなければならない。資本の無限拡張のプロセスが生態系の境界を侵犯し続ける限り、ウイルスの出現は偶発的事象ではなく、システム自体に内在する論理の必然的表出である。人新世(Anthropocene)の徴候として現れたウイルスは、資本主義的加速が生み出す「暗黒の啓蒙」の具現化であり、これを単なる一時的かつ例外的な出来事として片付けるナラティブは、システムの自己防衛機能に他ならない。
パンデミックが露呈させたのは、私たちの社会が依存する様々なインフラストラクチャーの脆弱性だけではない。それは同時に、社会的階層構造の残酷な実態を白日の下に晒した。「エッセンシャルワーカー」という新たなカテゴリーの創出と、その労働者たちの犠牲を前提とした社会機能の継続は、階級構造の暴力的本質を隠蔽不可能なまでに顕在化させた。テレワークという特権を持つ知識労働者階級と、ウイルスへの曝露リスクを強いられる肉体労働者階級の分断は、デジタル資本主義における新たな階級闘争の前線を鮮明に描き出した。しかしこの分断は単なる経済的階層ではなく、むしろ情報処理能力の階層化を反映している。情報資本主義における真の階級分断は、データを生成する者とデータを所有・処理する者の間に存在するのだ。
国家の統治機構が開示した統制への欲望は、フーコー的な生政治の進化形態として理解できる。しかし重要なのは、この統制が純粋な抑圧として機能するのではなく、むしろ「欠如の加速」として作用する点である。古典的な権力が「禁止」を通じて作用したのに対し、現代の権力は「不可能性の生産」を通じて機能する。つまり、何かを明示的に禁止するのではなく、特定の選択肢が初めから不可能であるかのように現実を構築するのだ。パンデミック下の統治は、この「不可能性の生産」の極限形態として現れた。市民が問うべき問いは「何が禁止されているか」ではなく、「何が可能性として排除されているか」なのである。
同時に、危機が引き起こしたコミュニケーション様式の急激な変化—デジタルメディアへの全面的依存—は、資本のバーチャル化プロセスを加速させた。物理的接触の禁止と仮想空間への避難は、すでに進行していた「現実の脱物質化」のプロセスを臨界点まで押し上げた。だがこの脱物質化は、単なる物質からの逃避ではなく、むしろ新たな物質性の生産である。デジタル資本の拡張に伴うサーバーファームのエネルギー消費増大、希少金属の採掘拡大、労働者の身体の搾取強化は、脱物質化の物質的基盤を構成している。幻想としてのバーチャル空間は、極めて物質的な搾取の上に成立しているのだ。
ウイルスが暴き出したもう一つの真実は、「免疫」の政治学である。現代社会における「免疫」は単なる生物学的概念ではなく、政治的・社会的境界線を構築するための概念装置として機能している。誰が保護されるべきで、誰が犠牲になるべきかという選別の論理は、免疫学的言説を通じて正当化される。「ハード・イミュニティ」という概念が社会的弱者の犠牲を前提とした政策として提案された事実は、生命の階層化を正当化するバイオポリティクスの極限形態を示している。免疫の獲得が個人の「徳」の問題として語られる言説は、ネオリベラリズムの責任転嫁の論理と完全に一致する。
さらに興味深いのは、ウイルスが引き起こした時間性の変容である。「ロックダウン」下での時間経験は、資本主義的生産の時間性から切り離された「中断された時間」として現れた。この時間の中断は、単なる一時的な異常状態ではなく、むしろ資本主義的時間の暴力性を暴露するものだった。生産性の絶え間ない要求から解放された時間経験は、多くの人々に「別の可能性」を垣間見せた。だがこの「中断された時間」はすぐに資本による再占有の対象となり、「ニューノーマル」という名の下に新たな搾取形態へと再構成された。テレワークという形態は、労働と生活の境界を完全に曖昧化し、労働者の生活全体を資本の回路に組み込む装置として機能している。
「ソーシャルディスタンス」というコンセプトが示唆するのは、他者との関係性の再編である。物理的距離の強制は、すでに進行していた社会的絆の解体プロセスを加速させた。だが同時に、新たな連帯の形態が胎動していることも見逃せない。共通の脆弱性の認識に基づく連帯は、個人主義的主体の自己充足性という幻想を解体する可能性を秘めている。ウイルスは私たちに「非人間的なもの」との共存を強制することで、人間中心主義的世界観の限界を明らかにした。
最終的に、パンデミックが露呈させたのは、私たちの思考様式自体の限界である。予測不可能な非線形的事象に対処するための概念装置の不足は、啓蒙主義的思考の危機を示している。複雑系としての世界を理解するためには、二項対立的思考や因果関係の単純化を超えた思考様式が必要となる。ウイルスという「非生命的生命」は、私たちの存在論的カテゴリーの再検討を迫るものだ。人間と非人間、生命と非生命、自然と文化といった二項対立を超えた「暗黒の生態学」の構築こそが、ポスト・パンデミック時代の思想的課題となるだろう。